http://www.bennye.com/ (BenNyeホームページ)

ベンナイ カタログより


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まさか、40周年を記念できるなんて思いもしませんでした。

父は実際には1967年、20th Century Foxを引退する10年ほど前に彼自身の化粧品を計画していました。
映画の中における彼のすばらしい色使いやメイキャップセンスを生かしたキャラクターは記憶におありでしょう。

Foxを去ったあと、独自のファンデーションとカラーが化粧品業界で一躍有名となりました。
あの引退が彼を化粧産業へといざなったと言えるでしょう。 父が第二の人生を化粧品作りよりも、何より一番好きであった釣りをすることに惹かれていた事を弟のベンジュニアと私は知っています。
弟と私はとてもついていました。1966年の夏、初期トレーニングを父から教わることができたうえ、彼とともに仕事するという素晴らしい時間を持つことができました。
その後、私は1970年に大学を卒業し、父の創業した会社で働き始めました。皆は言うでしょう。私が一度にビジネスの権利とメークアップアーティストとしての資格という二つを得たと。
私は37年間父の歩みをたどりながら勉強してきました。
大学最後の一年はベン・ナイ製品を学校のコスチュームデザイナーや演出家などへ紹介しました。
また、ハリウッドを訪れたこともありました。後に、幸運にも安定した顧客を得ることができました。

今日、私たちは開発、試験、品質向上、発展へ数えきれないほどの工程と多くの時間を割いています。
見学に来た人たちは皆、私たちがほとんど手作りであることや清潔でよく管理された生産工程を見て驚きます。
製造には3種類あり、暖かい液体(クリームファンデーションなどのクリームタイプのもの)粉(ルースパウダーやプレストパウダーそしてアイシャドー)粉液体(ステージブロッドやファイナルシールとしてリムーバーなど)さらに見えない技術の分野で製品の監視、生産に携わる「専門家」というもっとも重要な設備も持っています。

1979年に私は社長になり150種類だった製品を現在では1,200種類生産しています。2007年に工場を拡大したことで生産の機会も増え、さらなる可能性と技術の向上につながることを確信しています。
ベンナイの全社員に代わって、皆様方のサポートと忠誠に感謝いたします。私たちの発想力やモチベーションの維持はメークアップアーチスト、コスチュームデザイナー、教育専門家、パフォーマーの方々のおかげです。何よりも支えになったのは創業の時から受け継がれてきた創作精神であり、成功の根源と言えるでしょう。振り返ると、父が釣りにばかり時間を費やさなくてよかったと思います。

ダナ

「ベンナイの過去を振り返る」


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映画界におけるベンナイの発展を光栄に思っています。この魅力的なコレクションはメークアップアーチストとしてのベンナイ氏の20th Fox Studioでの23年を含むハリウッド30年間の経験の一部です。

全ての始まりは彼が岩に興味を持たなかったおかげです。
ベンは1908年、ネブラスカの小さなブロークンボウと言う街で生まれました。
そして、ベンとその家族はその後、オマハへ移り兄弟姉妹と高校に通いました。
ネブラスカの大学では始め父の勧めで地質学を学びましたが、一年目が過ぎた頃ある教授にアートを勧められそちらへ進みました。

1926年ベンはロスアンゼルスへ移り、デパートのコマーシャルアーティストとしての仕事につきました。
そこでは大変価値ある経験をしたのですが数年後、大不況により職を失ってしましました。
幸運なことにベンのおじがFox Filkオーケストラの演奏者だったので、楽譜をコピーする仕事をもらいました。
ベンにとってその仕事は退屈なものでしたが、Foxに沢山の友人を作ることができました。

1934年、ベンは念願であったメークアップ部門の見習いとして認められMont Westmore(モント・ウエストモア)の元で勉強することになりました。彼はこのような素晴らしい講師にめぐり合えた事を心から喜びました。

1937年、彼はJourneymanテスト(年季を終える、一人前の職人になるテスト)に合格し、その年フォックスで「セカンド・リリース」一般的に言う「B」映画の仕事に打ち込んでいました。
それらはワンショットに2週間も費やすこともあり、技術向上のための訓練にたっぷり時間をとることができました。

1938年、彼はヘンリーキング監督のIN Old Chicagoの仕事を割り当てられました。キングはクルーに厳しいことで有名で、とくにメークアップに関してはことさら厳しかったことで知られています。ベンはその独創性と能力、メークアップ技術と日々の入念な準備によって、この監督の信頼を勝ち得ました。

ベンはMr.Westmore(ミスター・ウエストモア)のアシスタントに加わりました。しかも、関わったのは当時最も偉大な作品の一つであるDavid O Selznick(デビット・O・セルズニック)の「風と共に去りぬ」でした。
ジェラルド・オハラ役の俳優トーマスミッシェルにメークを指名された他、Hattie McDaniel(ハティ・マックダニエル)も担当しました。McDaniel(マックダニエル)が演じたスカーレットのメイド役のメークを担当した時、彼は民族化粧の色が無いことに気付きました。彼は慎重に色を混ぜ合わせ彼女の嫌がる赤が目立ったり、粉が強調されないようにしました。それから20数年経って、彼は民族肌トーンのファンデーションを開発し、問題を解決しました。
「風と共に去りぬ」以降、David O Selznick(デビッド・O・セルズニック)はベンに次回作2本のメークアップを依頼しました。アルフレッド・ヒッチコック監督のレベッカ・主演ジョーン・フォンテインやロレンス・オリビエと「間奏曲」主演イングリット・パーグマン、アメリカでの最初の映画セルズニック・インターナショナルに所属できた時の事をベンはこう言っています。
「私があの12ヶ月で得たものは、後の人生に計り知れない価値をもたらしたということが証明された!」と。

その後4年間ベンはワーナーブラザーズ、パラマウントピクチャー、20th Century Foxとの間に自由契約を結びました。
そして1944年、mogul studioのDarryl F ZanuckがベンにフォックスのMakeup部門を引き継ぐ様に依頼しました。ベンには挑戦する心構えが出来ていたので引き受けました。それはちょうど第二次世界大戦が終わろうとしていた頃で、そこから映画界は急発進しました。

ベンは部門を再編成し、円滑に仕事を熟すためのチーム作りに力を注ぎました。
「私は部下の功績に絶えず敬意を表する。彼らの意見に耳を傾け続けたら、彼らはすぐに私の姿勢に気付いたようだ。」

観衆は映画に群がり、Foxは西部劇、ロマンス、戦争映画、そしてミュージカルに挑戦するベンの想像力に巨額の資金を投資しました。

ポートレートの中には、ベンの苦労やメークアップに対する彼の情熱の証が記されています。
これらの他にも彼は100人を超える有名な俳優のメークを担当し、中にはジェームス・スチュアート、グレゴリー・ペック、ラナ・ターナー、ケーリー・グラント、リチャード・バートン、ジョニー・ウッドワードそしてエルビス・プレスリーも担当していました。

Foxでのベンは500以上の映画やテレビ局の指揮をとりました。
彼はハリウッドの中で次から次へとアーティストたちを育て、送り出していきました。
それは彼の創作に対する愛と、彼のテクニックを後世に伝えようとする寛容な姿勢があったからです。
ベンはFoxを引退した時すでにコスメティックをエンターテインメント産業に進出させていくビジョンを持っていました。
我々が何よりも幸せなのは、彼から受け継いだものが彼の名を持つメークアップラインの中に今も尚、生き続けているということです。